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克己心:医療従事者を表す言葉(2)

克己心の「克つ」はこの「勝つ」とは大きく意味が違うと思う。「勝つ」は勝利を目指すつまり、勝つ側もあるならば負ける側もあります。良い言葉ですが医療の現場には何かしっくりこないと思う。「克つ」は難しい状況あるいは己の設定に会わせた目標を乗り越えることを指していると私は考えている。つまり、新しい境地を開けることの出来る「克つ」です。この考えは医療従事者の私達が倫理高く、ヒポクラテスの誓いのもの仕事する上での活力の源になると私は信じています。

医療従事者を表す言葉(1)

医療従事者の行動様式の根幹になる考え方とはなんでしょうか。最近、私はよく考えます。つまり、いくつかの言葉で表すことができたら。私は誠実真実の追究、と克己心でないかと感じています。皆さんは、どう思いますか。それぞれの言葉の意味に関しては後日説明しないとだめですけど。患者とその家族は医療従事者をどんな言葉で表すことが出来ますか。また、医療従事者は自分自身をどんな言葉で表すことができますか。

人工呼吸器、死の準備

嫁さん、コメントありがとうございます。。人工呼吸器をつけることには、私は医師と否定しません。また、状況に応じては非常に効果があると思います。ただ、ターミナルの癌において、人工呼吸器をするかにはかなりの疑問があります。

疑問と言うよりも、嫁さんが仰るように、元気なときに話し合う必要があるんですね。人間、いつか死ぬんですね。でも、死ぬなら、苦しまないで、愛される家族、友人に囲まれて、安静な気持ちで私は死にたいです。また、多くの私の患者もおなじことを望みます。それだけに、死の準備が必要だと思います。

死の準備は決して暗い気持ちのものでは、迎える自然の死、現実を直視するもので、死を人生の劇場の有終の美を飾るものと捉えることが出来ると、少しは落ち着いて家族、パートナーとはなしが出来るのではないのでなないでしょうか。

現実には話し合いが行われてないと、すぐに医療従事者は人工呼吸器をつけてしまうのが現状で、ターミナルでつけると外れる可能性は非常に少ないです。いったんつけると、超直接的な意志の疎通は難しいです。これでいいんでしょうか?

是非、死の準備について考えることをお奨めします。考えることが患者としての主体性を生むのです。

生と死

ある私の知り合いが亡くなりました。享年42歳でした。治らない癌でしたが、ひたむきに生きました。最後の一ヶ月は残念ながら体の調子がわるく入院が続きました。でも、本当に調子が悪いときにライフ・サポート(人工呼吸器)の選択をするかが大きな鍵となりました。治らないのにサポートをする。誰を治療しているのでしょうか?
でも、この最後の医療の大きな選択は医療判断であると法的にテキサス州では解釈されています。それだけに医療従事者は勝手な判断をするだけでなく患者の同意を得られることが
大切です。でもそういう状態で、無駄な治療と判断すれば医療従事者はライフ・サポートを提供する必要がないんですね。

皆さんはどう思いますか。
死ぬ最後まで医療の施しを受けたいでしょうか。
患者本人に同意を求めるべきでしょうか。

死を直面する;ライフサポート

さて、人間が死を直面したときにどこまで、誰がライフ・サポートをするか否かを決めるのでしょう。ストレートな答えはないのですが、私はこの時点でターミナルな状況に陥って回復の見込みがないならライフ・サポートをしてほしくないと思っています。このことは家内にもそのように伝えています。

皆様のコメントをお待ちしています。

プロフィール

チームオンコロジー(上野直人)

Author:チームオンコロジー(上野直人)
米国で腫瘍内科医をしています。日本のがん患者さんと医療従事者にMDアンダーソンがんセンターにおけるチーム医療をしってもらい、よりよく「がん」という病気に取り組んでほしいと思ってこのサイトをたちげました。

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