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日本の医療の運命を左右する学生教育 (2)

診療科の選択ではなく「どんな医者になりたいか」を考える
チーム医療(multidisciplinary care)がどういうformatで日本に普及しようが、「患者中心の医療を実現しなければならない」というところに必ず落ち着くだろう。それを前提に学生のマインドセットを教育できるならば、医師になった後も、常に正しい選択をしていくはずである。いま日本にある制度で、患者中心のチーム医療を行うには学生はどうしたらいいのだろうか?答えは簡単。「どういう医者になりたいか」を決めることだと思う。よりよい医療のために個人としてできることは、「どんな医者になりたいか」を考えることだ。これはどの病院で研修しても同じ。それは何科に進むかということではなく、「患者をよりトータルに診たい」、逆に「ある疾患の治療をよりよくするための研究をしたい」など、モチベーションとなるものを設定することだ。これをリードできるのが大学の教員あるいは先輩医師である。

ただ大学教員は自分の科の医局員確保のために自分の科の宣伝に走る傾向がある。本当は新人の医師達に対し実際に何科に行くなどの「最終的なことはあまり早く決めないほうがいい」とアドバイスしてほしい。外国からみると日本はすでにプライマリ・ケアの研修時点で特に診療科が細分化しているから、最初から専門分野を目指す医師が多くなるのかもしれない。でも、本当はトータルな知識を身につけたほうが医療の全体像が見えるので、専門家になってからも自信が持てると思う。学生のあいだに「これ!」と決めていても、一歩引いてクールに見たほうがいいというのはいつも感じるところ。スーパーローテートはいいと思う。色々とやった方がいいと思う。私が思うに、悩んでいる時間の長い人のほうが、最終的には自分の本当にやりたいことが決まっている感じがある。どういう医者になりたいかを考えさせながら、学生教育をするのがいいのではないだろうか。

私は学生が来たときにはプライマリ・ケアを中心にして、所見、症状、現病歴をとり、身体所見を全部とり、鑑別診断を行わせることにしている。そしてその次にどういう検査をするかを考える。検査はあくまでも鑑別診断をサポートする手段のひとつであって、その後もう一度鑑別診断を立て直して、治療計画を立てていく。これが学生を教える基本パターンになっている。症状を中心に入るので、それぞれの科の役割分担が明確になるように教育し、また、どのようにしてコンサルトを得るためにタイミングやアプローチを考えるのかにも時間をかけることにしている。特に学生あるいは研修医のあいだは守備範囲が限られているので、守備範囲を超えたものに関してはコミュニケーションをとらざるを得ない。それもあり、「自分が責任を取れないところは、やってはいけない」ということを学生やレジデントは繰り返し強調して教わることとなる。それがチーム医療につながるところとなると考える。

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克己心:医療従事者を表す言葉(3)

万波医師の行動、克己心という言葉を照らし合わす、心苦しいものがある。患者のために何かしたいのは医療従事者であれば当然のことである。ただ、先日もコメントをしたが、彼の場合病気に勝つことのために暴挙に走ったと言える。エビデンスの無い医療を一人あるいは少数の人間で医療行為を行う、チーム医療なんか完璧に無視の状態である。病気に克つとは単に病気を打ち勝つあるいは上手につきあうだけでなく、ある患者の満足度をあげながら、患者自身に克たし、将来の患者にも医療貢献することである。万波医師ははじめの部分以外はすべて暴挙である。また、万波医師の行動に気づいていたあるいは疑問をもっていた医療従事者(看護師、同僚医師、薬剤師、病院管理者、患者)はすべて同罪である。なぜもっとこの暴挙に気付かなかったのか。

チーム C

直接的に患者に関わるチームAチームBがあります。医療従事者以外に間接的に患者さんに関わる人が一杯います。つまり直接的に病気と心のケアに必ずしもエビデンスだけで行動しない人たちです。世の中はエビデンスだけではありませんので、ここが難しいところです。チームCは、家族、友人、患者会、基礎研究者、疫学研究者、製薬メーカー、診断薬メーカー、医療機器メーカー、NPO/NGO、財界、政府etc. Cはcommunity supportです。チームCの世の中の動きを決めていきます。また、最終的な正しいエビデンスの高い医療につながるのです。そこでチームCでは包括的な知識と経験を身につける必要があります。ただ、現実にはある問題に執着し、がんとしての全体の流れを考えて発言あるいは行動しないために多々極端な行動あるいは発言をされる方々がいるのが残念です。

判ると判らない?良い医療とは

捨てられる<有用な腎臓>が存在する以上、M氏の取られた行動は判るような気がします。米国でも、何年何十年と移植が受けられない患者はいるのでしょうか?{先日のclumsyさんのコメント}

Clumsyさん、コメントありがとうございます。時々忙しくて書けなくて申し訳ありません。さて、M先生の行動はやはり大きな問題があります。第一に有用であるか有用でないかという医学的根拠にかけていることですね。つまり本来なら臨床試験を行って証明する必要があったと思います。

しかも、この点を証明していないために倫理的に違反したので、このアプローチは恐らく標準療法になることは抹消されるでしょうね。つまり、将来の患者さんには、全く役に立てるかの機会をこれで失いました。M先生の行為は重大な犯罪です。

患者の思ってでかもしれませんが、結果として患者のために一切良いことにはなっていません。私は残念ながら患者の思う気持ちは判りますが、彼の取った行為は理解できません。本来は患者が医療従事者よrも一番怒るべき行為である。さて、最後にアメリカですが、アメリカでも移植を受けたい人たちが待っている状態です。

日本の医療の運命を左右する学生教育

万波医師の医療行為をみると色々と考えさせられる。彼の医療行為に憤りを感じる。また、「目の前に患者が居るので助けたかった---、だから---をした」という発想に納得いかない。一見いいようだが、エビデンスと倫理を無視した暴走にしか思えない。同じような態度で医療行為を行う医療従事者がいてるのは周知の事実である。これは何故か、学生教育を見直す必要があるのでないか?このような医師を生み出した教育を見直す必要がある。倫理高い能力ある医師を育てるのは私達医師の義務である。

「どんな医師になりたいか」
この質問を学生に投げかけると様々な答えが返ってくる。多くの学生は能力のある(優れた)医師になりたいと答える。ただ能力のある名医は「良い医者」とは限らない。でも現実には患者向けの名医ランキングが盛んだし、世間一般ではこれにちやほやする傾向がある。すごく間違った考え方だ。例えばがんの名医ランキングといっても、その医師1人でできていることじゃない。その医師の周りにはスタッフがいっぱいいるわけで、その病院のランキングを表わしているのかもしれない。患者は名医を求めるよりも、トータルなチーム医療で病気を治療してくれる病院を求めなければいけない。また、私達大学で勤めるものは、学生教育において、「名医になる」というスタンスよりも、「チームの一構成員として、チームをリードできる医師になりたい」と教育した方が将来的にはいいのではないか。多くの大学教育ではこのチームの一員になることをどのように教えるかで悩んでいます、また、これはアメリカの医学教育でも大きな問題である。

チームをリードできる医師が学ばなければならないことは何でしょうか?最新の医療を知識として持つのはいいけれど、絶対に学ぶ必要があるのは、エビデンスの高い標準療法である。その標準療法はどんなエビデンスに基づいているのか、あるいは絶対やってはいけないとされる療法のエビデンスは何なのか。その中間(エビデンスが明確でない)が存在するときには、例えば治療法の効果の根拠を調べて、そこからどうコンセンサスをとるかを決めるべきなのか。代替療法もおなじである。これは代替療法を否定するのではなく、エビデンスレベルを吟味して患者と共に、代替療法を進めるかコンセンサスを取る必要があることを指している。

つまり、コンセンサスのプロセスおよびそのコミュニケーションまでを含めて、病院あるいは大学は学生に見せなきゃいけない。教科書を読むと、すべての治療方針がズバリと決まりそうな気がするけれども、現実はそうじゃない。教授、上司、オーベンの鶴の一声で方針が固まっていくのか。それとも、エビデンスに基づいてディスカッションして、どうしても意見が一致しないときには社会的背景や患者の希望を考慮して決めているのか。学生はそのコンセンサスづくりのプロセスまで教える必要がある。

プロフィール

チームオンコロジー(上野直人)

Author:チームオンコロジー(上野直人)
米国で腫瘍内科医をしています。日本のがん患者さんと医療従事者にMDアンダーソンがんセンターにおけるチーム医療をしってもらい、よりよく「がん」という病気に取り組んでほしいと思ってこのサイトをたちげました。

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