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終末期医療のあり方

このNYTの記事によると米国における大きな医療センター医師の11%が無駄な治療をICUで行われていると思っているらしい。この数値は米国の医療センターとしては、妥当な数字だと思う。問題は、無意味な治療に関わっている医師達がいてることが問題である。

家族の希望は重要であるが、一番尊重すべきは本人の希望である。ICUの多くの患者はもはやコミュニケーションできない。この状況において本人の死に対する考えを医師として、生前に、しかも元気なうちに引き出すことができなかったのは医師として恥ずべき行為である。自分も反省すること多々である。

記事の原文
http://well.blogs.nytimes.com/2013/09/11/futile-care-at-lifes-end/?ref=health
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患者さんの死に対する不安をどのように対処しますか?エビデンスは作れるのか?

虎の門病院臨床腫瘍科の三浦裕司先生のメールを少し改編して掲載させて頂きます。とてもいいので、一読の価値ありです。

症例検討で、患者さんの死に対する不安をどのように対処しますか?と質問をしました。
患者さんやそのご家族と、「死について」誰が、どのように、どのタイミングで話をしてますでしょうか?
また、患者さんのご家族に「そんな話を本人にするのはやめてほしい」と言われた事はないでしょうか?
話をする事により、患者さんやその家族にメリットになるのでしょうか?デメリットにはならないのでしょうか?

このような臨床的な質問(疑問)に対して、「この手の話はエビデンスが出来ないからしょうがない」と諦めてませんか?

確かに質の高いエビデンスを作るのは難しい分野ですが、探せばそれなりに見つかりますし、自分たちでプログラムを作り、エビデンスを作る事も諦めてはいけません。

場合によってはTop Journalに掲載されることもあります。
今週のJournal of Clinical Oncologyに以下のような論文が掲載されています。

Information of Imminent Death or Not: Does It Make a Difference?
Gunilla Lundquist,
Birgit H. Rasmussen,
and Bertil Axelsson
JCO Oct 10, 2011:3927-3931; published online on September 12, 2011;

死について患者さんやその家族と話をする事が、患者さんの意思決定やend-of-life careにどのように影響しているのかを調べた、Swedenからのmatched-pair analysisです。
期間:2006~2008年
データベース:Swedish Register of Palliative Care (SRPC)というプログラムにレジスターした患者さんの情報からデータ収集(SRPCがどのような内容のData収集をどのような形でしているかは、本文を参照して下さい)
対象:死の前、時間もしくは日単位まで意思決定能力を失わなかった13,818人のがん患者を抽出
91%が切迫した死 (imminent death: 本文中にこの定義は書かれてない?)について、知らされていた。
informedとnon-informed Ptで人数に差があったため、それぞれ1,191人ずつmatched pairを行い、死の前1週間の状況を比較した。
結果:様々な症状(痛み、不安、混乱、吐気、気道分泌など)のコントロールに差はなかった。
Informed patientsにおいて、必要時に応じた非経口薬剤の使用、家族へのinformed、患者の希望する場所での看取り、遺族のケアにおける
頻度が有意に多かった。
患者さんと死について話をする事で、痛みや不安を増悪させる事なく、いくつかのメリットが得られる可能性が示唆されています。

また、これらの話を誰がするのか?「医師と看護師の両者で行う」割合がダントツなのも
注目すべき点ですね。

このようなことでも科学的に検証しエビデンスを作る姿勢を我々医療従事者はみにつける必要があります。

尊厳死

先日のコメントを読んで、尊厳死についてかきます。

人間として、ひとりの個人としていい死に方を誰もが迎えたいと思います。
誰も死にたくないけど、いずれ死ぬ。人間は死を避けることは出来い。
ただ、死に至るスピードが違う。

でも、だれもが、自分の死に方みたいなものがあり。ふつうの人の考え方は、一個人としての尊厳をたもって死にたいとおもうでしょうね。

でも、不思議なことに、多くの人は尊厳ある死を迎えてもらえる保証がありません。ほかの人が死を迎えているときには感情的になり。また、その人がどのように死にたいかを知らないので勝手に推測するのです。

そのために、自分の意志とは関係のない治療や、死にかけの状態をのばすだけの医療行為が医療従事者あるいは家族の希望によっておきしてしまう。

僕自身はここ五年色々な状況があり、リビング・ウェル(尊厳死の宣誓書)を法的につくっています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。従って、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

① 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期が迫って
いると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は
一切おことわりいたします。

② 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。
そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとして
も、一向にかまいません。
 
③ 私が数ケ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切
の生命維持装置を取りやめて下さい。
 
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。

尊厳死協会から)
________________________________
これは何も死にたいということだけでなく良い人生を過ごしたいから作成しました。

さて、米国の多くの場合、また私の場合は三番はありません。つまり何ヶ月も植物状態はお断りです。医療従事者が駄目と思えば、どうぞ延命をやめてくださいと記載しています。

死の準備

コメントを頂きありがとうございます。

過去の記事に遡って見ていました。ここの記事は何日か前に読み終えてましたが、コメント入れるにはもう少し勉強してからと思っていました。今日再びブログを訪問し、前回どこまでよんだかなぁと辿ってたら、またこの記事で目が留まりました。やっぱり今感じたこと書こうと思います。

兄がターミナルケアで東京の大学病院で人工呼吸器をつけたのは16年前です。
当然意識はないのですからある時期、病院側から外したいとの申し入れが家族にありました。私も姉から打診されました。

私の当時の考えは呼吸器を外す事には反対でした。
外す事は死を意味しました。(自発呼吸じゃないので、既に死であったとしても、そう思えなかったのです)

賛成するという事は兄の死を自分の手で・・・・と同じ意味合いでした。
(今考えると、 単なる私の我儘で自分がかわいいだけの結論だったのかも)

しかし、それはただの確認だけであって、本人が死の準備等する余裕もなかったのなら、その決定は伴侶に任せるしかないと思いました。末期癌患者の看病は大変です。
実際携わっている人の事を考えれば、意に反していたとしても認めざるを得ないという事です。

今、自分が癌患者になって一番思うのは痛みの緩和だけはして欲しいということです。眠るように死ねたら幸せでしょうね。痛みを我慢している兄に「我慢しないで」と言ったら、「そうだな」と言ってた事が思い出されます。

あまりにも突然の事で何の対処も出来なかった兄ですが、気持ちはよく分かります。
無念の気持ちがあると死の準備など出来ないのではないでしょうか?

最近の話ですが、老人ホームのお年寄りが自分の遺影を撮ってもらっているニュースがTVに映ってました。明るく死の準備をしてました。皆さんきっと十分に生きたと、悔いなく生きたと思っている方達なのかなと思いました以上が今現在の私の偽らざる気持ちです。私はまだまだ生きる!

[返答]

死の準備はとても簡単なことでありません。とくに末期になると死生観が変化するとも言われています。元気なうちに、患者自身がどのような死を迎えたいかを考える機会をもつことが大切です。

無念お気持ちがあると死の準備ができないのか。明確な答えはありませんが、死生観は病気の重いときに話すことではなく元気なときほど考えやすいものだと思います。

元気だと、多くの人は告知してほしい、痛みをちゃんとしてほしい、助からないなら無駄な治療はしてほしくないと答える方々が多いですね。

医療従事者の立場からすると家族に人工呼吸器をはずすかの同意を求めるのはとんでもないと思います。まさに仰るとおりで家族への責任が重すぎます。家族が考える必要なのは、患者が元気なら本人が何を望んだろうかだと思います。何をしてあげるかではないのです。この違いがわかるでしょうか?

一番多いのは家族の思いと患者自身の思いが完全にずれていることですね。これが日本もアメリカも末期のがん患者をくるしませてる一つの要因ですね。

克己心:医療従事者を表す言葉(3)

万波医師の行動、克己心という言葉を照らし合わす、心苦しいものがある。患者のために何かしたいのは医療従事者であれば当然のことである。ただ、先日もコメントをしたが、彼の場合病気に勝つことのために暴挙に走ったと言える。エビデンスの無い医療を一人あるいは少数の人間で医療行為を行う、チーム医療なんか完璧に無視の状態である。病気に克つとは単に病気を打ち勝つあるいは上手につきあうだけでなく、ある患者の満足度をあげながら、患者自身に克たし、将来の患者にも医療貢献することである。万波医師ははじめの部分以外はすべて暴挙である。また、万波医師の行動に気づいていたあるいは疑問をもっていた医療従事者(看護師、同僚医師、薬剤師、病院管理者、患者)はすべて同罪である。なぜもっとこの暴挙に気付かなかったのか。

プロフィール

チームオンコロジー(上野直人)

Author:チームオンコロジー(上野直人)
米国で腫瘍内科医をしています。日本のがん患者さんと医療従事者にMDアンダーソンがんセンターにおけるチーム医療をしってもらい、よりよく「がん」という病気に取り組んでほしいと思ってこのサイトをたちげました。

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